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「僕は君に会うために生まれて来たんだね」碇シンジにとって渚カヲルとは何だったのか

2021/04/29 18:00

ネタバレ注意!『新世紀エヴァンゲリオン』伝説のブロマンスコンビを語る



さらば、全てのエヴァンエリオンーー。2021年、『シン・エヴァンゲリオン』がついに公開され、永遠に続くかと思われたシリーズがついに完結しましたね。

最初のTVアニメ版放送開始が1995年と、およそ30年の月日が経った今もなお、アニメにおけるブロマンスキャラの頂点に燦然と輝く伝説のコンビ、主人公・碇シンジ(CV.緒方恵美)と謎の美少年・渚カヲル(CV.石田彰)。

特に渚カヲルのカリスマ性は、『エヴァンゲリオン』シリーズの絶大な人気とも相まって、その後のさまざまなアニメにおける美形キャラクターの形成に絶大な影響を与えたとも言われています。

これまでエヴァンゲリオンはTVアニメ・劇場版のみならず、各種コミックスやゲームなど、多岐にわたるメディア展開をしていますが、今回はTVアニメ版、コミックス版、劇場版「Q」、劇場版「シンエヴァ」の順に、カヲルとシンジの関係性について、「カレラ」的目線で語っていきたいと思います

『シン・エヴァンゲリオン』含め盛大なネタバレアリなので、十分注意してお読みください!!!

 

◆目次◆
1.わずかな出番で濃厚な絡みを見せたTVアニメ版
2.ギスギス感が堪らない! コミックス版
3.伝説のピアノ連弾で心を一つに…新劇「エヴァQ」
4.全ては「シンジを幸せにするために」ーー新劇「シンエヴァ」
5.シンジにとって、カヲルとは何だったのか

 


「好きってことさ」ーーCV.石田彰の謎めき

 
2クール全26話で放送されたTVアニメ版で、カヲルが登場するのはなんと第24話「最後のシ者」の1話のみ。しかしそこで彼は、視聴者に強烈な印象を植えつけました。
ほんの僅かな出番にもかかわらず、多くの視聴者を惹きつけた理由は、何と言ってもシンジとの濃厚な絡みでしょう。


シンジとカヲルの2人きりの入浴シーン。人間の孤独について語るカヲルは、おもむろにシンジの手に自らの手を重ねます。すると突然浴場の電気が消え、「もう寝なきゃ」と言うシンジ。「君と?」と返すカヲル。

常に人間は心に痛みを感じている。心が痛がりだから生きるのも辛いと感じる…ガラスのように繊細だね。特に君の心は」
「僕が?」
「そう。好意に値するよ」
「コウイ?」
「好きってことさ」

「これは石田彰にしかできないわ」
というミステリアスさ。これはもう、見ている側も「何だ、こいつはーー!?」と思わざるを得ません。

カヲルの部屋でシンジが自らの孤独感、そして父を憎んでいることを告白すると、カヲルは「僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない」と言って彼を受け入れます。

シンジもそんなカヲルに信頼を寄せますが、実は彼は倒すべき「使徒」だったということが明らかになり……。カヲル退場のシーンは涙なしにはいられません。目的を果たそうが果たすまいが、いずれにせよ死あるのみだったカヲルは、せめて自らの死の形を選ぼうと、「シンジの手で殺される」ことを希望します。

ここ、やばくないですか?
シンジに殺されることだけが、カヲルにとっての救済だったのです。
 
TVアニメ版のカヲルはシンジのカウンセラー的な役割として、孤独なシンジの心を解きほぐしていきますが、最終的には敵である「使徒」であることを明かし、シンジは絶望のうちに大切な「友達」を手に掛けることになるのです。
 

 

やんちゃカヲルとツンデレシンジの掛け合い


コミックス版のカヲルは、他シリーズのカヲルとはかなりキャラクターの相違があります。全く違うキャラクターとも言えなくもないため、作画・貞本義行先生の名前を取って巷では「貞カヲル」と呼び、アニメ版の「庵カヲル」(庵野秀明監督ver.)と区別されていることが多いです。


コミックス版のカヲルは、アニメ版などの超越的な雰囲気に比べ「人間くさい」と形容されることが多いです。

カヲルの出演は全14巻中8巻〜11巻と、短いですがアニメ版よりは割合としては多め。
何といっても、有名なカヲルとシンジのシーンが「人工呼吸キス」! 過呼吸になったシンジを助けるために、カヲルくんが自室のベッドの上で、シンジくんにキ……人工呼吸を施します。
このシーン、作画者自身も語っていることなのですが、作画者の「照れ」が如実に反映された場面なのです。アニメ版のカヲルならば顎クイからのロマンティックなキスをしてもおかしくはない雰囲気なのですが、漫画版カヲルは年相応(?)の照れ笑いを見せてくれます。そこがかわいい。

この人工呼吸キス事件は事故ではあったのですが、アニメ版のようなシンジとカヲルの精神的なつながりはなかったのかというと、そんなことはありません。
コミックス版カヲルは、アタックの仕方もCV.石田彰的な余裕はなく、自らのうちに湧き起こるシンジへの思いに戸惑いながら、必死にシンジの心を捉えようとします。

「僕のことは“友達”って呼んでくれないんだ。君にはもう、僕しか残ってないのに…。」
「僕が聞きたいのは、君が僕をどう思っているかってことだよ!」

いや〜この必死感。かわいいですね。

そんな彼に対してシンジは反発します。漫画版カヲルは廃人になってしまったレイやアスカを平気で侮辱するサイコパスなので、シンジが怒るのも無理はありません。

退場シーンは概ねコミックス版と同じですが、こうした2人の関係を踏まえるとまた異なる意味合いになりますよね。制服を着た2人が空き地で組み合い、シンジがカヲルの首を締めている無音の情景が何とも印象的。
そしてカヲルを恐れ、疎んでいたシンジでしたが、カヲルの死後、自分が彼に惹かれていたことに気付きます。
 

 

TVアニメ版、コミックス版とは展開がガラリと変わる


そもそもカヲルは、「Q」以前にも、「序」「破」と続いてきた劇場版でもそれぞれラストにほんの少しだけ登場しています。特に「破」のラストでは、シンジに対して今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」と呟くカヲルが印象的です。


「今度こそ」とは?
この「序」「破」のカヲルのセリフで、「カヲルがシンジを幸せにするべくループしている説」が発生。新劇場版は単なるリメイクなのではなく、アニメ版・漫画版と連続した世界なのでは…

「Q」では、いよいよ本格的にシンジに接触するカヲル。
綾波レイを救おうとしてサードインパクト(人類滅亡の大災害)を起こしかけ、14年間眠り続けたシンジ。目覚めたら14年も経っているわ、戦犯として冷視線を受けるわ、そんな犠牲を払って救ったと思っていた綾波も救えていなかったわで、喪失感と孤独のどん底に。そんなシンジに「一緒にピアノを弾こう」と誘いを掛けてきたのがカヲルです。

そりゃ、シンジ君もカヲル君に惹かれざるを得ないですよ!
レイもアスカもミサトさんも14年前とは別人のよう(レイは実際に別人)だし、彼らが自分に向ける目も以前とは全く変わってしまった。孤独の中、心の隙間に入り込んで来たのがカヲルです。

シンジがカヲルを好きになったのは、「たくさんいる人の中から彼を選んだ」のではなく、「彼しかいなかった」のです…

一緒にピアノを見たり、星を見たりと、キャッキャウフフしているうちにカヲルに依存していくシンジですが、悲しい哉、またもやカヲルは退場することに。退場の仕方も、これまでのシリーズとは全く違う形になりました。

エヴァを操縦しないように首に自爆装置を付けられ監視されていたシンジ。それをカヲルが自分の首に付け替え、真実を伝えて世界を書き換えてやり直そうとします。
しかし図らずも人類滅亡の「フォースインパクト」を発動させてしまったことに気づき、それを止めるためにカヲルは自爆。

カヲルの死を悟って取り乱すシンジに「そんな顔をしないで。また会えるよ」と微笑むカヲルが聖母そのもの。唯一自分を救ってくれた友達の頭が目の前で吹っ飛び、しっかりとトラウマを植え付けられたシンジなのでした。
 

 

「息子が父の愛を求める」という構図


「Q」でカヲルが退場したので、果たして最終章「シンエヴァ」ではカヲルはどのような形で登場するのか? いや、そもそも登場するのか? と心配していたファンも多かったと思いますが、後半でしっかりと出てきました。

シンジが精神世界で父・ゲンドウを始め主要キャラと対話していくシーンで、カヲルは自分がシンジの幸せのために世界をループしてきたこと明かします。しかしカヲルが想定していた幸せは本当のシンジの幸せではなく、シンジはそれをはっきりとカヲルに告げます。

この会話からも感じられるのですが、そこの語りの中で、カヲル=碇ゲンドウ、すなわちカヲルがシンジの「父」にあたる存在だったのでは? ということが示唆される箇所が複数あるというのです。
思えばシンジがカヲルを「父さんに似てる」と言うなど、シンジ自身もカヲルに「父親み」を感じている節があります。

「シンエヴァ」は、徳永英明「壊れかけのRedio」ではないですが、「思春期に少年から大人に変わる」ことを象徴した物語といっても過言ではないでしょう。そこでカヲルがシンジと本音を語らい、去っていったことは、シンジの「親離れ」、精神的自立を表しているのではないでしょうか。
 

 

カヲルの「父性」に惹かれるシンジ?


シンジにとってカヲルとは何だったのか? という問いに答えるのはそう簡単なことではありません。
TVアニメ版、コミックス版、劇場版と、そのラストは異なりますが、必ず「孤独」の極まる瞬間にカヲルが現れ、シンジを依存させ、そして裏切って消えていき、新たな孤独をシンジに与えます。

そこで、エヴァンゲリオンシリーズを「碇シンジの成長物語」であると仮定すると、カヲルは母親がおらず父親を憎む碇シンジという少年の思春期に現れました。父を憎みながらもその愛を欲していた少年は、身近にいて親身に接してくれた同性に父のような存在として惹かれたのかもしれません。

コミックス版だけが異なるカヲルのキャラ問題ですが、その未熟な人間性からコミックス版は「カヲルのループ1周目」と捉える説が考えられます。シンジはTVアニメ版、映画版ではカヲルに対して「頰染め」を見せるなど従属的な様子を見せますが、コミックス版では生意気なカヲルに反発しています。つまり、「1周目」ではカヲルも「父性」を発揮できず、シンジもそれに気づかなかったのかもしれません。

「父」としてシンジの幸せを願い、果たそうとしてきたカヲル。しかし最終的に自分がシンジに救済されてしまうというのは、息子が父を超えた瞬間、すなわち「少年が大人になる」ことの象徴のようにも思えるのです。

ともあれ、この巨大なジャンルのメインテーマの一つに、一介のオタクが決着をつけようとするなど恐れ多いもの。きっとシンジとカヲルとの関係については、これからもファンの間で考察が続いていくのでしょう。
2人が末長く幸せに生きられますように…
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